
今回はフエさんです。1日の仕事が終わった午後6時。疲れた顔も見せずにこやかに話をしてくれました。久しぶりに会いましたが、しばし思い出話に花が咲き2時間が瞬く間に過ぎてしまいました。
| グエン ミン フエさん 19? 年 エンバイ県生まれ 1997年4月 東京都町田市立看護専門学校入学 2000年3月 同校卒業。同年4月千葉県袖ヶ浦市 袖ヶ浦さつき台病院入職、現在に至る。 ●支 援 病 院:医療法人社団さつき会 袖ヶ浦さつき台病院 理事長・院長 矢田洋三先生 |
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問題のタネは尽きませんね
フエ 私の故郷はエンバイといって、ハノイから260キロぐらい離れたところにあります。結構遠いんです。医療のことで言えば田舎ですからやはり衛生環境が悪く、設備が貧弱ですね。たとえばサチュレーションの機械も1・2台しかなく、しかも壊れたままになっていたり、、。先日も日本人の知り合いのドクターがベトナムに医療視察に行くと言うので、ぜひ私の故郷にも行ってくださいって頼んだところ、わざわざエンバイまで行って病院を視察してきてくれました。きっといい支援方法を考えてくれていると期待してますが、でも医療器具が増えればいいのかっていう問題もありますよね。
日本の医療は完全看護のシステムをとっていますが、ベトナムでは患者さんの介護は家族が面倒を見ますから、病人が出るともう大変です。だれかが犠牲にならなくちゃなりません。それはひとつの厳しいい一面ですけど、家族の関係というか、家族のつながりをギュッと締めてるという面もあります。逆に日本では入院したらあとは全部病院のスタッフがみてくれますから安心なんですが、たとえばお母さんが入院していてその子どもが見舞いにきても何もする事がなく、世間話をして帰ってしまう姿を見るとなんとなく寂しいなぁって感じます。コミュニケーションはあるんでしょうけど、身体を拭いてあげるとか下の世話をするとかがないので、私の感覚からすると親子のスキンシップが感じられないなぁって。ちょっと冷たい印象を受けますよね。
日本のようにシステム化されてていい面と、ベトナムのように立ち遅れてるからいい面があると、それぞれ難しいものですね(笑い)。
まぁ、どこの国でも、どんなところにも問題はありますよね。たとえばベトナムにも保険制度はありますがみんな使いたがらないんですよね。保険の患者だと順番が後々になっていつ診てもらえるかわからないんですよ(笑い)。まぁ、自費診療のほうが早くてしかもよく診てもらえます。そういうところも問題ですね。でもベトナムにいたときに病院の事についてあまり知識も体験もないから、来年国に帰ってからですね。以前一時帰国したときに医療省の紹介でバクマイ病院に行きましたけど、詳しく見たわけではないのですが、パッと見た感じでは、やはり衛生面が気になりましたね。設備にも問題がありますけど。
―― ベトナムではよほどの事がないと病院にはかからないと聞いてますが。
フエ そうです。ですから若い人の中には病院に行った事がない人も多いですよ。風邪ぐらいでは病院には行きませんから、ほんとうにどうしようもなくなって病院を訪ねるって感じですよね。
薬も、日本だと国が認可していて安全性を重視してるでしょ。ベトナムではほとんどの人が街の薬局で売薬で治しちゃうんですよ。でもこれが問題で、偽物とか不良品とかもありますから。適当に輸入されて売られてます。アメリカとかフランスのは効き目が早いので人気があります。
私自身は日本に来る前に身体の調子がおかしくなって故郷の病院にちょっと入院した事がありますけど、ちょうどその時に隣りに入院していた方が点滴をしてもらったところ薬の品質が良くなかったらしくショック症状を起こして痙攣から意識不明に陥って病院中大騒ぎになってました。ベッドから起きると今度はパニック状態になって、、、。その様子を見て私はほんとうにびっくりしました。でもドクターや看護師さんがどう処置するのか冷静に見ていた部分もあります。看護学校に入ってから精神疾患について勉強した時に、その状態を妄想と言うんだとわかりましたが、今思えば貴重な体験でしたね。
―― 私もハノイに行ったとき頭痛がするので薬局に買いに行きました。フランスの薬だったんですが、よく効くんですよね、ス〜ッと楽になって。で、日本に帰ってからフランス語のわかる人に見てもらったら、「どこで手に入れたの、この薬!!」って言われまして。「赤い字で劇薬って書いてあるのよ。処方箋がないと絶対売ってはいけないって、注意書きがあるわよ」なんて叱られまして、でもよく効くんだよねその薬(笑い)。
フエ 当たり前ですよ、劇薬だもの(笑い)。
入り口はシンプル、でもその後が、、、
―― フエさんはハノイ医科大を受験したと聞いてますが、医者になろうという動機は?
フエ 田舎にいましたから大学のことはあまり詳しく知らなくて、ハノイ国家大学とか百科大学とか大学の名前を見ても何を勉強するところなのかわからないんですよ。その点、医科大って、「あっ、医者になるところだ」ってわかりやすいじゃないですか。医科大の中でもやっぱりハノイ医科大が一番かなって(笑い)。まぁそれは冗談として、母が身体が弱くてよく病院の御世話になっていたので、自分が医者だったら母も楽だろうなというのが動機ですね。いい医者になるにはやはり一番いい医科大に入ろうと思って頑張ったんです。でも大変だったなぁ、受験勉強(笑い)。
―― このプログラムも大変でしょう(笑い)。
フエ そうそう、ほんとに(笑い)。このプログラムに参加したきっかけはあっさりした単純な動機でした。でもそのあとが大変(笑い)。
私たちは第1期生ですけど、実は前の年に31名全員不合格になって入試途中で帰国したんですよね。だから次の年は絶対合格しなければならないというプレッシャーはものすごく強かったです。しかも私は皆より少し早めに日本に来て、東京の町田市にホームステイしながら日本語を勉強してました。保健所に勤めていた女医さんがボランティアで受験勉強を教えてくれたり、それでやっと合格できたんですから。最近の学生は来日するとほとんど合格するでしょう。すごいなぁって感心してますよ。
―― 年度によって差はありますが合格率高いですね。でもフエさんの頃は外国人が看護学校に留学するのが初めてなんですから、受け入れる学校側にも決断が要っただろうと思いますよ。看護学校は科目の得点だけでなく作文や面接も重視されますからね。そんな環境で1期生や2期生が突破口を開いてくれたわけです。こういう学生が入学してくるなら大丈夫と学校側が判断してくれたのは、やはり皆さんの努力ですよ、後輩達は感謝しないとね。
人との出会いが自分を変える
フエ 町田の看護学校での出会いも忘れられませんね。
―― 渋谷先生ね。
フエ あの先生がいなかったら、自分は今のように物事を前向きに明るく考えられる人間にはなっていなかったと思うんですよ。同級生たちはアニメの話や芸能人の話題に花が咲いて、でも私はついてけないでしょう。私のことを気に掛けてくれる友達はいるんだけどでも話題が合わないし。こちらには日本語の壁があって伝えたい事がうまく言えないとか、いろんなアクシデントに悩みました。習慣の違いはある程度覚悟してきたつもりでしたが、たとえば授業中、日本の学生は先生の質問に答え解かってても手を上げない。こういう習慣の違いに当初はビックリしました。でも渋谷先生がいてくださったおかげで私は自分を変えることができました。
先生との出会いがなかったら途中で挫折していたかも知れませんね。文句ばかり言うイヤなヤツになっていたかも(笑い)。
―― フエさんが1年生の夏休みに入った頃、JFBに渋谷先生から、「ぜひ話したい事があります」って電話があって、何の話だろうとドキドキしながら学校に行きました。
先生は、「フエさんが卒業するときに私も定年を迎えます。私の教員生活最後の学生がフエさんです。私の仕事の総仕上げにフエさんに出会わせてくださってどうもありがとう」。そうおっしゃってくださったのにはびっくりしました。
フエ 渋谷先生は私にとって、ほんとうに人生の恩師です。看護の勉強もたくさん教わりましたが、それ以上に人生で大切なものを教えてくださいました。もう亡くなられて3年経ちました、、、、。
わたしの天職・ナースの仕事
フエ 病院で初めて患者さんの下の世話をしたときに、正直なところ悲しくなってしまいました。日本の看護学校に入るためにあんなに頑張ってきたのに、、、なぜこんな事しなくちゃならないの?って。
でも、未熟な私でも患者さんはとても喜んでくれて、気持ち良さそうな顔してくれて、ほんとうに人を喜ばせられる仕事なんだなぁって思ったんです。人に喜んでもらえる仕事ってそんなに多くはないですよね。「ありがとう」って言ってもらわなくても喜びがわいてくるんです。看護の仕事は辛い事もたくさんありますが、私がしたことをとても喜んでくれて、またわたしを待っていてくれる患者さんもいるんですね。人に接しながら喜びを感じながらできる仕事はとてもやりがいがあります。
人との関係だから難しい事もたくさんあります。きちんと静かに寝ていてくれないとか、ここが痛いとかカユイとか。私のいうことを聞いてくれなくて困る事もあるんですけど、それでも喜べる仕事ですね。
今年は最後の年なので病院内を全部経験したいと思っていろんな部署を回らせてもらってます。友達は、フエさん大変ねぇって言ってくれるんだけど、大変だなぁって思うんじゃなくて、それを楽しいものに変えていこうと自分を励ましています。だってやるのは自分なんですから。だから、受身じゃなくてね。自分のことなんだからしっかりやろうよって言いたいの。大変だとか、苦労だとかいろいろあるけど、それもぜんぶ自分の経験になるならそこから学ぶ姿勢が大事でしょ。それを続けていると見えてくるんですよね、看護っていうものが。だから今はとっても満足してます。
今の日本はウツ病とかが多いでしょう。このさつき台病院には精神科もあるので6月から精神科に回してもらったんですが、若い患者さんをみてて、なぜ? なぜ?って思うんですよねぇ。まぁ、生活環境の影響が大きいわけですが、心がオープンにならない自分がいて、その環境にはまっちゃってるという悪循環があります。もちろんそんなに単純じゃなく複雑な事が絡みあっているのでしょうが。そういう患者さんに頑張れなんて励ませませんから、ケアするほうも辛いですよね。特に私のような性格だと、、、。白か黒かはっきりさせたい方なんですよね、私って(笑い)。
―― えぇ、よくわかります(笑い)。
フエ たとえばこの症状を診て何の病気なのかとか、ICUにいる患者さんだったら、こういう看護計画立ててこういうものをアレンジしてあげたら良くなったとか。こうやったら、ああなったという結果が出る、そういうカタチになるのが好きなんです。
―― じゃ、精神科は大変でしょう?
フエ 人生経験も必要ですしね。じっくり話を聞いてあげて、大人の対応をしなければなりません。こちらは聞く一方ですからね、とてもストレスが溜まります。そういうときに、ナースは女優ですって自分に言い聞かせるんです。いろいろ言いたい自分の本心を隠して相手に合わせていろんな顔を作る女優みたいでしょ(笑い)。そうやって自分を前向きにさせてます。自分ひとりで出来ることは限られてます。そばに人がいるから自分もやっていけるという感謝の気持ちがとても大切だと思いますね。それと自分はなにをやりたいのかをしっかり考えていくこと。ただ自分の考えを押し通すのでなく、まず相手を受け入れ、相手の立場を考えてみることがやはり大事なことです。思いやりですね、大切なのは。
―― はい。お疲れのところ、どうもありがとうございました。研修期間も残り少なくなってきましたが、がんばってたくさん吸収してください。
【「ベトナム人看護師養成支援事業」ニュースレター『アオザイ』第10号 より】
第1回 ザン タインさん
3年間、日本の看護学校に留学し、卒業後就労研修生としてナース4年目に入った、1期生のフォン チャン ザン タインさん。留学中のことや病院の就労研修をどんな思いで過ごしているのでしょうか。勤務先の板倉病院にお邪魔して、タインさんと坂本看護部長にお話を伺ってきました。
フォン チャン ザン タインさん
ベトナム・ホーチミン市生まれ
1997年4月 千葉県旭中央病院付属看護専門学校入学。
2000年3月 同校卒業。
2003年4月 医療法人弘仁会板倉病院入職(千葉県船橋市)〜現在に至る
●支援病院: 医療法人 弘仁会板倉病院 理事長・院長 梶原優先生
まず留学中のことについてお話ください。
タイン:学生のころは勉強するのが大変でしたけど、もともと医学のことを勉強したかったので楽しかったですね。特に解剖生理学は一番好きな科目でした。人体の骨や筋肉の名前を覚えて生理を学んだりすると人間を構造的に理解できますから、生命現象がロジックとしてわかってきます。たとえばお腹が痛いときには、ああ、あそこの部分がこうなってるんだなとか、そういうふうに理解できるのが面白いですね。
看護学校の1・2年生はテキスト中心の勉強ですから医学の勉強をしているという感じでしたが、3年生になって臨地実習に入ってはじめて看護というものを意識するようになりました。学生時代に勉強で苦労したなあっていうことはないんですが、病院に入ってみたらスタッフどうしは略語を使って話してるので全くわかりませんでした。とにかく耳に入ってきたことばを腕とか手のひらにボ一ルペンでメモしておいて、あとで親切そうな人を掴まえては聞いたりしました。はじめの1年間はそういうことにとても苦労しました。私は患者さんとコミュニケ一ションとるのが苦手なので旭中央ではICUに配属を希望しました。ここはあまり話しなくてもいいですから(笑い)。
でも緊急入院の患者さんの治療にあたるわけですからも患者さんがその後どうなったか詳しく知らないで終わってしまうという、仕事の上で満足感が半分という感じはないですか?
タイン:そういうことはありますね。快復してきて転棟する段階までのお世話ですからね。でもと、にかく忙しくて、そんなことまで考える余裕なんかありませんでした(笑い)
ところで、グループワークとかケアとかベトナムでは経験しないことが、逆に日本では重視されていますでしょ。
タイン:そうですねえ、ハノイにいたときは自分のことは自分でやってきたし、人に手伝ってほしいと頼む事もないし、だから人から頼まれることもなかったし。日本に来てはじめて集団行動するようになりましたが、けっこう楽しいものですよ。
国では他人の世話する事ないんですか?
タイン:あまりないです。もちろん全然ないわけじゃなく、それなりにありますけど(笑い)、でも、他の人の世話は……。
家族以外の人の世話はあまりやらない(笑い)。
タイン:まあ、そういうことかな(笑い)もともと、こっちに頼んでこないんですよ、ベトナムの人は。だから自分も人には頼まない、自分でやるってことになります。
日本人に比べて人間関係が淡白なんでしょうか。そういえば、ベトナムの病院では患者さんの世話をするのは家族の役割ですよね。
タイン:そうです。看護の考えが日本とは違いますからね。でも、私が向こうの病院の看護スタッフになったとして、病室で患者さんの世話をしようとしたらきっとみんな嫌がるでしょうね。「家族でやりますからいいです」って断られるんじゃないかな。それはベトナム人の人間関係のあり方が影響していると思います。
坂本看護部長:感覚の違いもありますよね。たとえば自分の身体のことは家族にやってほしい、あるいは家族がしてあげたい、という思いが強いんじゃないでしょうか。それはベトナ厶の人の家族愛だと思うの。だから逆に向こうの方が日本の家族関係をみたら、なんて冷たいんだろうって思うんじゃないかしら。
日本の看護師さんは看護師としてやるべきことをやっているわけで、家族もそれを普通に受け止めて、私たちにとってはなんでもない事かも知れないけど、ベトナムの人がみれば、なんで日本の看護師さんたちはそういう事をするんだろうか?お父さんの身体を看護師さんが拭くなんて、日本人の家族は冷たいなあって、考えるだろうね。
学校ではもちろんケアの仕方を学びますよね。看護学校の先生に学生の様子を伺うと、ベトナ厶の学生から「看護師がどうしてケアまでやるんですか?」って質問がときどき出るそうです。
タイン:個人によって差はあるでしょうが、そういう疑問は最初はあるでしょう。でも日本に来て勉強してるわけですから頭はだんだん日本化してきますよ(笑い)。学生のころ、看護師さんの資質に向いてるとか向いてないとかよく言われましたけど、それより大事なのは自分が看護師になりたいのかどうかってこと。資質よりもやる気があるかないか、こっちの方が大事じゃないかなと思いますよ。
卒業すると間もなく社会人ですよね。病院スタッフになればその日から責任もってやらなければなりませんから、好きとか嫌いとか、向いてる向いてないなんて考える余裕もなく、とにかくやらなければならないことをやるべきだと、そういう毎日でした
タインさんは旭中央病院で3年間ICUにいて、今年4月からこちら(板倉病院)に移ったわけですが、どんな違いを感じましたか。
タイン:向こうは規模が大きいですから、複雑な動きの中で自分は一つの歯車として動いてきましたが、ここでは家族の中で仕事しているような、居心地がいいというか、たとえば器具の扱い方にしても、この病院ではみんなの物という意識が働いているんだなあと感じます。でも目的は患者さんの治療に尽くすことですから、いろんな面で違いはあっても気持ちとしては同じです。
来日して辛かった事はどんなことですか?
タイン:まず入試が終わって、入学式の後ね、なんにもわからないままにオリエンテーションが始まって、こういうのベトナムにないから、なんだろうって感じでした。そして教科書が配られ、直ぐに授業が始まる日、それから夏休み前までの数ヶ月間はなれないから辛かったです。
その次は卒業式のあと、国試発表までも暗〜い毎日でした。自信がないわけじゃないけど、発表みるまでは不安でした。でも発表までどうしてあんなに長くかかるんでしょうね(笑い)。「合格」って安心したら間もなく病院勤務が始まるでしょ、とても緊張が続きました。
勉強はどうでしたか?
タイン:日本の学生たちにとっては試験の前日からでも間に合うのでしょうけど、私たちは日本語も下手ですから一週問前に始めないと全部終わらないから、ほんと休む暇がありませんでした。入学試験には受かっても、やっぱり看護の勉強は特殊な専門用語が多いですし、ほとんど初めての言葉ですから聞きなれていないし、苦労しました。寮に帰ってからもまた勉強して….。
留学生ってそういう日本語のカベと格闘しながら勉強の苦労を積み上げていくんですね。もちろん看護留学生に限らず(笑い)。
タイン:そうですね、私たちに限らず(笑い)...。
もちろん、カリキュラ厶の多さをみると他の学科とは比べられないほど多様ですし、なんといっても国家試験が控えているからプレッシャーは相当なものでしょうけどね。
日本にいてベトナム人と違うなあって思うことあるでしょう?
タイン:ベトナム人は自分のことだけやっていればいいというか、個人主義かなと思います。日本人は、たとえば学校ではグループワークが多いですし、仕事するようになってからもチームワークを大切にしますよね。たとえば臨地実習ではなんでも報告しなければならないわけですが、そういう考え方に慣れるのがたいへんでした。自分のことだけやって済むベトナムの社会だと、自分のことは自分で決めて自分で責任取るのが当たり前ですから、報告事項でも、これは自分でわかっていればいいんじゃないのとか、こんなささいな事は報告しなくてもいいんじゃないかとか、ついつい自分で勝手に判断してしまうんですね。医療過誤をなくすため一つ一つ報告する必要性はわかるんだけど、学生時代はなかなか慣れませんでした。
決められたことをきちんとやるのは日本人のまじめさかも知れません。でもベトナムにいた頃のイメ一ジとはずいぶん違いましたよ。日本人はまじめで優しくて、今の若者のような男性が茶パツにしたりピアスしたり、あんなファッション、想像もしてませんでした。アメリカの影響がとても強いんだなあって感じます。
また日本人の親子関係は不思議です。こどもが親を殴ったり、ベトナムでは絶対考えられないことですよ。親に対しての言葉遣いも悪いですよね。ベトナムは家族で固まっているので、そういう良さがあると思います。日本の人にもっと家族を大事にして欲しいなと思います。
坂本:いままで日本で過ごした時間を振り返ってみてもどんな感想をもってますか?
タイン:無駄な時間がなかったなあって思います。看護だけでなくほかにもいろんなこと学びたいなっていろいろ考えながら過ごしてきました。でもやはり看護がメインになりました。奥が深いからいくらでも学ぶ事はありますね。日本のチームワークの良さも学びました。でもべトナムに帰ったら、また元に戻っちゃうのかな(笑い)。
坂本:それもまた自然でしょう(笑い)。
タイン:みんながあっちに行くから自分も行こうとは考えませんからね、ベトナ厶人は。大きな集団で固まってるんじゃなく、ボツッ、ポツッて、それぞれあっち向いたり、こっち向いたりしてる(笑い)。
坂本:でも、1本1本の木は、ポツッ、ポツッとあっちこっち向いてても、それを遠くから見れば大きな一つの森になってるんだから、それでもいいんじゃないのかしらね(笑い)。日本は日本の森のスタイルがあって、ベトナ厶にはベトナムの森のスタイルがあるのよ。良い悪いじゃなく、個性の違いね。
看護部長にお伺いしますが、異質の個性が板倉病院に入ってきて、どうですか?
坂本:タインさんがそばにいるから言うわけではありませんが(笑い)、いい意味で影響を与えてくれましたね。私たちと感性が違う、感覚が違うというか、ピュアな素朴な感覚を持っているのね。だから患者さんとも自然に接することができて、やさしい言葉掛けが普通にできるのはすばらしいことです。そういう姿を見て、私たちが人と接する原点に戻れるような気がします。
それと学ぼうとする姿勢が旺盛です。ですから、教える方もついつい力が入ってきます。仕事するだけでなく何かを学ばなければならないというひたむきさが病院のスタッフに受け入れられているのだと思います。若いパワーのいい影響をもらってます。新人研修をどうすればいいかとか、われわれスタッフもずいぶんディスカッションしましたけど、タインさんと今年新卒のタオさんと二人入ってきてとても新鮮に感じました。タオさんが注射の練習するときは、スタッフが右の手左の手と入れ替わり立ち代り腕を差し出してましたものね(笑い)。私たちも初心に帰って勉強してます。そういうふうに職場環境が変わりましたね。
これまでも職場の環境を変えようといろいろ計画を練った事もありますが、何か新しいプログラムを導入したから変わるというものではないですね。こういう熱心な新人が入ってきてくれることによって変わってくるというか、こちらが変わらざるを得なくなってくる、そんな影響を感じますね。
影響を与えるというより、与えられることが良いものを次につなげていくという循環。それが新しいものを生み出していくのでしょうか。タインさんはあと半年でベトナムに戻りますが、ぜひこの病院にタインさんらしい良いものを残していって戴きたいと願います。また、坂本看護部長さんにも引き続きよろしくご指導ください。
本日はお忙しいところ長い時間とっていただき有難うございました。
【「ベトナム人看護師養成支援事業」ニュースレター『アオザイ』第9号 より】
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