学校法人中央ゼミナール 「現役科ニュース」1998.5発行から 転載

3人の留学生が、看護学校に合格しました!

 昨年度(97年度)、中ゼミ現役科「看護福祉医療系コース」に3人のヴェトナム人留学生が在籍,それぞれ志望の短期大学・看護学校に進学しました。昨年7月に来日、以後9月の2学期開講から、3月末の合格発表まで、3人の留学生の中ゼミでの奮闘の様子を紹介します。

 「窓口に、看護学校受験希望の外国人の方が来てるんですけど…」

 夏期講習も終わったある日の昼下がり、今にも夕立が降り出しそうな蒸し暑い日だったと記憶しています。窓口のYさんから「ヴェトナム人の方らしいんですけど、入学相談にいらっしゃっています」と連絡がありました。「えっ、ヴェトナム人……。」たまたまその時、『看護法令ハンドブック』という本を見ていたんですね。咄嗟に国家試験の受験資格のページを開いていました。近年、文部省の「外国人留学生10万人計画」の関係もあって、留学生受入れ基準はわりと緩和されて来ているんです。以前は入国管理局の審査を通すだけでも大変でした。しかし、「予備校」は留学受入れ機関として認められていません。日本語学校や大学・短大・専門学校以外の受入れは非常に困難なのです。まして看護学校の場合は、卒業後に日本の「看護婦(士)国家試験」を受験することが大前提ですから、もし外国人に国家試験受験資格がないとなると、看護学校の受験資格もないということになります。正直言って、「ヴェトナム」と言うと「ボートピープル」に代表される、難民のイメージ。南北の対立。私も「えっ」と思ってしまいました。それで咄嗟に調べたのですが、「保健婦助産婦看護婦法第21条」によると、外国人にも受験資格があるのですね。(知らなかった…)そこで初めて、「入学相談」となったわけです。

「びっくりしました。正直言って
  外国人の不法滞在とか社会問題になっているじゃないですか。
 ブローカーの人なのかと思ってしまいました…」   (受付窓口:Yさん談)

 受付に来ていらっしゃった方は、関東JFBネットワーク協同組合の理事長 別府隆先生でした。実はお隣の某「○○○アカデミー」に先に相談に行かれたそうですが…。これは後からお聴きした話ですが、看護系受験で有名な某「Sセミナー」とか「Tアカデミー」とか、みんな断られたそうです。理由は「外国人だから…」我々としては「理解不能」の理由ですけどね。事務局の二文字屋さんなど、「理事長から指示はされていたけれど、予備校なんか信用できないから今年は探そうとも思わなかった。」とのこと。そんな理由で、理事長自らの来校となったのだそうです。

 別府先生のお話では
@ 日本語能力検定試験の2級をもっている。
A 昨年度の都立看護学校入試でも、僅かの得点差で不合格だった。
B ヴェトナムの高校では何れも優秀な成績で、非常にまじめな生徒たちである。
C 7月に来日して吉祥寺駅の近くでホームステイしながら高円寺の日本語学校に通ってたが、今日から高円寺のマンションに引っ越してきたので、ぜひ高円寺周辺の予備校で、受験指導をしてもらいたい。
とのことでした。

「ヴェトナム人看護婦(士)養成支援事業」とは?

 このプログラムは、厚生省の認可を受けた関東JFBネットワーク協同組合と、ヴェトナム社会主義共和国労働・傷兵・社会省が共同で行っているものです。ヴェトナムでは戦争・南北対立・経済状態の悪化といった国内事情と、ソ連の崩壊などの外的な要因とが一緒になって、医療の分野での立ち後れが目立ちます。医療に携わる人々の地位も技術も知識も低い水準のままなのです。そこでまずは看護の分野から、日本で学び将来の指導者となる人材を養成しようと始められたのがこのプログラムなのです。スタートしたのが'94年のこと、ヴェトナム国内で17ヶ月に渡る日本語教育を受け日本語能力検定試験の2級に合格した第1期生14名が昨年1月に来日して看護学校を受験しました。その結果4名が合格しましたが、惜しくも不合格であった者の中から3名が再来日、今春の平成10年度入試を目指すというわけです。
 合格後は看護学校、若しくは看護系の大学・短大で3年間以上学び、日本の国家試験を受験します。そして最低4年間、JFBネットワークの会員の病院等で研修期間があります。従って、日本語教育段階から数えると、足掛け10年間にわたる大きなプログラムなのです。一旦は受験に失敗し、ハノイの医科大学受験を目指していた彼女たちでしたが、やはり高度な技術・知識を学びたいという向学心で、再挑戦となったわけです。
 現役科としては、看護学校の受験資格等に問題がないことがわかったので、受入れに異存はありません。ただ、現役課長であるS先生も出張中で不在でしたのでその日はお話を伺って、後日、本人たちを交えて相談するということになりました。

緊張気味の3人が、来校しました

 9月1日、2学期ガイダンスの前日、別府先生、3人が通っているTOPA21世紀語学校校長の今井先生、JFBネットワーク事務局の二文字屋さんといった方々に引率された3人がやってきました。早速入学手続き、翌日の2学期開講式・ガイダンスに出席、現役生のみなさんに紹介しました。
 そして授業開始。季節は秋から冬に向かうというのに、熱くて長い数ヶ月が始まりました。


 常用漢字表???

 コレ、何だかわかりますか?日本の常用漢字と発音、そしてヴェトナム語との対照表の一部です。この一覧表(手垢で汚れた…)をしっかり握って、毎日3人は通ってきました。午前中は高円寺駅北口にあるTOPA21世紀語学校で12月に行われる「日本語検定試験1級」の受験勉強。午後からボランティアの方に日本語を見てもらい、夕方から中ゼミへ。受験生らしい、勉強一本槍の毎日。彼女たちの生活ぶりが少しずつわかる毎に、我々現役科スタッフ、講師陣も気合が入りました。


「自習室に行くといつも一生懸命勉強していました。直接話したことはなかったのですが、あっ、頑張ってる。私もがんばらなきゃ!と、いつも励みにしていました。」
          (97年度高卒科生 Y.Sさん談:明治学院大学生)

「彼女たちとは講義の中で接するだけだったわけですが、周りへの影響、特に現役生に強い影響を与えていましたね。英語という共通の外国語を、現役生たちは母国語である日本語を使って学んでいる。彼女たちは日本語と言う外国語を使って学んでいる。しかも自分たちよりも熱心に……。頑張らなきゃ!とみんなが感じていたと思います。」
          (英語科:T.K先生談)

とにかく「日本語力」強化!

 授業開始から2週間が過ぎ、大体の彼女たちの実力がわかってきました。英語、化学、数学についての実力は文句なし。ところが解答に行き着かないのです。なぜならば「設問が日本語」だから。数学では日本の受験での解答方法と彼女たちが学んできた方法が違うということも判明しました。普通に会話できるし、文章を書かせてもしっかりしたものを書くことができます。しかし…最初の模試の国語の偏差値は20点台でした。
 とにかく、たくさんの文章に触れ、たくさんの言葉に触れるしかない。数学も、とにかくたくさんの問題に触れて設問パターンに慣れるしかない。しかし授業時間は限られています。補習をするにしても…他の業務や生徒指導を犠牲にするわけにはいきませんからね。そこで、数学と国語についてはボランチィアの方に応援を頼むことにしました。

 「ヴェトナムから日本の看護学校を受験する女の子がいてさぁ…」「はぁ!?」
 秋の夜長の一時は、こんな突然の電話によって破られたのでした。なんとすばらしいチャレンジャーなのでしょう。自分の短期留学の経験を思い出すまでもなく、外国での生活の大変さは想像に余りある…。それを、よりによって日本で受験とは見上げた根性だ!頑張れ!と盛り上がったところで「で、手伝ってくれないかなぁ?」
 こうして私はヴェトナム三人娘と出会うことになったのでした。学校の成績は文句無しの優等生とのこと。どんな人たちなのだろうとドキドキしながら待っていると、あどけなさを残した三人が緊張した面持でやってきました。それからの数ヶ月、垣間見た彼女たちの生活は、本当によく勉強していました。私の担当は水曜日の19:30から22:00。ついつい熱が入り予定をオーバーすることもしばしばでしたが、音を上げたことは一度もありませんでした。また、三人で話す時も特別な場合を除いては日本語でといった徹底ぶりに並々ならぬ意気込みを感じました。
 もちろんオタノシミの時間もありました。それは「おやつ」おまんじゅうやお菓子を食べながら「ヴェトナムに帰ったら私が遊びにいくから、おいしいお菓子を教えてね」なんて話もしました。勉強と休憩の切り替え。集中力、三人で励まし合うこと。三人娘は精神的なものも含めて、「受験を通して学ぶべきものは全て学んだ」そんな気がします。彼女たちの「夢を叶えるんだ」という一途な気持ちが、そうさせていたのだと思います。
                (国語科:I.M先生談)

 まさに勉強一本槍の毎日でしたが、10月初めには千葉にある東海大学附属浦安高校の文化祭に招待されて、外国人留学生としてスピーチに参加したりもしました。また、12月に行われた日本語能力検定試験1級に2名が合格。文部省は2級を持っている者に対して留学の許可を与え、1級取得者には「国語」の試験を免除することを認めています。しかし、看護や医療の分野では認めていません。語学力が人の命に直結してしまうからです。でも、とりあえずは相当の語学力を持っていることが証明されました。

雪・クリスマス・日本のお正月

 年末から東京でも何度か大雪が降りました。彼女たちは雪を見たことがなかったものですから、最初のうちは大喜びだったのです。「受験の頃に、よく大雪が降るんだよ」「楽しみです」「……………」こんな会話を何度したことでしょう。でも、そのうち「飽きました。もう雪はいいです」そりゃそうだよね。今年の冬の東京は変だった。そうそう、雪といえばクリスマス。彼女たちヴェトナム人は大半が仏教徒です。でも、日本人と同じように行事としてのクリスマスは楽しむのだそうです。
 クリスマス・イブの夕方、とっても寒い日でしたが、朝から高3生も交えて15人くらいで「漢字・語彙力」のゼミをやっていたんです。そろそろ休憩しようかなと思っていた時に、教室の外に紙袋を大事そうに抱えた別府先生の姿が見えました。「別府先生がいらっしゃっているよ。ちょっと休憩にしよう」と彼女たちに伝えると、ちょっと怪訝そうな表情で先生のもとへ出て行きました。そして、嬉しそうに袋を抱えて帰ってきました。「クリスマスプレゼントなのかな?」「ハイ」多くの人々に支えられて、三人は受験の年を迎えました。三が日には別府先生のご自宅に招待されて、日本のお正月を満喫したそうです。

最初の難関「都立看護学校」

 ここ数年、看護系・医療技術系の入試は厳しい受験が続いています。特に経済的負担の少ない国公立の学校は10倍近い競争率の学校が大半です。さらに、JFBの事務局と受験校について相談しましたが、実は受け入れてくれる学校も少ないことがわかりました。まず国立の学校。行政改革が進む中、「外国人を教育している余裕はない。」そりゃそうだ。続いて都立。青梅看護学校に1期生が通学しています。今年の入試要項から「外国人留学生の資格で入学を希望する場合は事前に相談してください」の一項目が入りました。(これもこのプログラムの功績の一つですね)受入れには問題ない。しかし、国語の設問の中に「古典」の知識がないと解くことができない問題が毎年出題されています。文学史・古典も含めて特訓の毎日が続きました。結果は3名中1名が合格。1名は1次試験はクリヤーしたものの2次の面接の時「声が小さかった」という理由で不合格…。センター試験と同じように都立看護は自己採点が出来ます。文句無しの得点です。おかしな話ですね。
 気を取り直して、JFBネットワークの病院が多い千葉県内の学校を中心に受験を続けました。その都度入ってくる事務局からの連絡に、我々も一喜一憂しました。どうしても気になって、受験に出かける彼女たちと高円寺駅で落ち合って、受験校まで送って行ったりもしました。そして、2月中旬、日本語力に不安があった1名を除いてとりあえずの進学先が決まりました。

ラストスパートは脅威的な頑張りで………

 タオちゃんの最後の踏ん張りが始まりました。次の目標は千葉にある旭中央病院附属看護学校の2次募集。1次の時は合格点に…。「とにかく国語を頑張ってください」と学校側から連絡が入りました。残る時間は1ヶ月。「とにかく最後までお願いします」と事務局。毎日15:00〜17:30。S先生、M先生、J、交替で指導しながら演習問題に取り組みました。日に日に痩せていくタオちゃんに心が痛みましたが、合格しなければ「帰国」が待っています。それだけはさせたくない。でも、少しずつ解答の「カン」のようなものが付いてきたのがわかりました。長年受験生を指導していますから、「これは合格するな」というのが見えてきたんですね。事務局には「大丈夫、合格しますよ」と答えていました。今思うと私のこの言葉、信じてくれてはいなかったんでしょう(ねっ、二文字屋さん)
 明日千葉に向けて出発という、中ゼミでの指導最後の日。仕事の都合で来ることができなかったM先生から激励のFAXが届きました。その瞬間の彼女の表情の変化……………一生忘れないだろうな。「嬉しい」というか「感激」というか、そして「頑張る」「合格するんだ」という決意。ほんの数秒のうちに人の心は表情に如実に表れるのですね。最後の決め手は、あのFAXだったと思う。

三人揃って、合格報告に来ました

 試験が終わってからの数日間、これが長かった。事務局の二文字屋さんからの連絡によると学校側からは「この1ヶ月間、相当頑張ったようですね」との話があったとのこと。でも油断は禁物。そして、明日が合格発表だという日の夕方、別府理事長から直々に電話が入りました。「タオが合格しました。今、学校から連絡がありました」「………………。よかった」
 翌日、満面に笑みを浮かべた3人がやってきました。そして、タオちゃんのポケットからお守り代わりに渡した人形(アンパンマンやらスヌーピーやら)が出てくる出てくる。受験が先に終わった二人が、自分の分を渡していたんですね。それぞれ進学先は違うけれど、3人で一緒に乗り越えた大きなハードル。日本の受験生も是非見習って欲しい。彼女たちにとっても、彼女たちを支えた多くの方々にとっても、我々にとっても掛け替えのない財産になりました。

○グェン ティー ニャー チャンさん 千葉県立衛生短期大学第一看護学科 進学
○ダオ フォン マイさん        千葉県立鶴舞看護専門学校 進学
○ブィ ティー フォン タオさん    千葉県 旭中央病院附属看護専門学校 進学

合格した3名の留学生
左から
○ニャーチャンさん
○フォン マイさん
M先生をはさんで
○フォン タオさん
  

 そして、3人は元気にそれぞれの学校に通っています。ニャー チャンさんは、看護系で日本の短大に進学した初めての外国人留学生になりました。何はともあれ、よかったよかった。「落ち着いたら鎌倉に連れていってあげる」この約束はまだ果たしていない。古文の詰め込み教育をしておきながら言うのも変だけど、日本の文化にも沢山触れていって欲しい。でも、まだ7年もあるからね。その内に遊びに行きましょう。
 3人の頑張りと、協力していただいたすべての方々に心から感謝申し上げます。ハノイでは3期生の日本語教育が始まっています。また中央ゼミナールで留学生をお世話させていただくこともあるかと思います。その節にはよろしくお願い致します。
              現役科 看護福祉医療系コース担任:T.J記

3人の留学生が、看護学校に合格しました!