「新・学歴社会の進路指導」
第二回日本ベトナム教育セミナー論文集(2003.8)より
陣内 努
1. はじめに
つい数年前まで日本の大学入試に合格するためには激しい競争があった。それは、日本の社会が今回のテーマの一つである「学歴社会」、つまり学歴が偏重される社会だからである。学歴社会は、実証的な因果関係の有無はさておき、過酷な受験戦争、小学生からの塾通い、受験ノイローゼなどを引き起こしている。「いじめ」、「非行」、「不登校」さらには「犯罪」などの遠因になることもあり、大きな社会問題となっている。そして、今盛んに論議されている「学力低下」の原因であるとする考え方もある。
日本には、このように「学歴社会」を諸悪の根源のように批判する人が多い。ところが、少子高齢化が急速に進む中で、特に一部の人気校を除けば、大学の入学試験に合格することはそれほど難しいことではなくなってきている。この日本の大学入試の現状をふまえて、「学歴社会の中での進路指導」について考えてみたい。
2. 「学歴社会」の変質
ベトナムのみなさんには、日本の大学入試はわかりづらいと思うので、まず現状を簡単に説明したい。1992年を頂点に205万人もいた18歳人口が、今春の2000年入試では約155万人と大幅に減ってきている。また、高校卒業者の進学率は上昇を続け、2000年の段階で49%に到達した。実に、高校卒業年齢に達した者の半数が大学、あるいは短期大学に進学しているのである。
(万人)
↑ 大学・短期大学の入学試験の規模の推移
*1.18歳人口=3年前の中学卒業者数 *2.進学率=高校新規卒業者の大学・短大進学率=18歳人口÷高卒者数
*3.志願率=高校新規卒業者の大学・短大進学率=新規高卒者の内の受験者数÷新規高卒者数
*4.合格率=大学・短大入学者数÷志願者総数(=浪人生を加えた受験者数)
ここで注目したいのは、合格率と進学率である。現在の日本の大学入試では、入学試験を受験した8割が合格し、18歳の若者の半数が大学に進学しているのである。つまり、「行こうと思えば誰でも大学に行ける時代」が来ているのである。この背景には、日本の人口動態の大きな変化が影響している。急速な少子高齢化に伴う18歳人口の減少にも関わらず、大学の新設、学部学科の増設は続いており、募集定員数はむしろ増加しているのである。従って、各大学の平均競争率が下がり続けていることから、年々志願者数と入学者数の差はなくなりつつあり、2009年頃には、全ての受験生が大学に入学することができる「大学全入時代が到来する」という試算もある。
しかし、一般に「有名大学」あるいは「一流大学」と呼ばれる大学や、比較的学費が安い国公立の大学には、その実数は減少しているものの、多くの受験生が集中し、競争がなくなることは決してない。その一方で、現在多くの私立大学、短期大学では、受験生が年々減少し、入学定員を確保することすら難しくなってきている。更に、受験生減少に伴う受験料収入の減少により、大学の経営・運営を圧迫すると言う事態も現実化しており、「大学が倒産する」と言うことも笑い話ではなくなりつつある。大学は収入を確保するために受験生、入学者数の減少を食い止めようと躍起になっている。しかし、東京や大阪といった大都市圏でも、特に女子大学、短期大学は入学定員数以下の受験生しか集めることが出来ず、受験者の全員を合格させるケースも珍しくない。現実に、「行こうと思えば大学に行ける」時代が来ているのである。
私は、このように「誰もが大学に行ける」ことに対して、大いに賛成である。多くの高校卒業生が大学教育の機会を得るようになったことは肯定的に考えるべきである。なぜならば、つい最近まで、その実態はともかくとして「大学は一部のエリートが行くことができる場所」であり、高等教育を受けるに十分な、潜在的な能力を持っていながら、入学試験の難易度や志願倍率の高さから進路選択の視野に大学進学を入れていない高校生、つまり最初から進学を諦めていた者が、あまりにも多かったからである。学歴社会の弊害は確かに存在し、その影響は計り知れないが、現在進学率は50%に到達した。つまり、若者の半数は大学生なのである。言い換えれば、誰もが「大学進学を検討することができる」という「新しい学歴社会」が到来したのである。
3. 日本の経済の変化と大学の変質に伴う、大学入試の変化
1945年の太平洋戦争の終結以後、日本の大学進学率が大きく上昇した時期を、3回に分けることができる。
@ 1955年ごろからの10年間(朝鮮戦争勃発などを背景にした経済成長期)
A 1966年ごろからの10年間(ベトナム戦争勃発などを背景にした高度経済成長期)
B 1985年ごろからの10年間(平成バブルの崩壊まで)
の3回である。特に@、Aの20年間は戦後の復興を契機として日本経済が急成長した時期であり、現在のベトナムの急速な経済成長と重ね合わせることができる。社会の発展に伴い「人材養成の必要性」と「向上しようとする欲求」の2点がかみ合った結果、高等教育の必要性が増すと考えることができる。つまり「高学歴化」の傾向は国家の発展の一つの方向であり、国が必要とする人材の養成という点で、「エリートの養成」が活発化した社会を「学歴社会」と呼ぶこともできる。Bについては、@からAのころの経済成長に伴うベビーブームの時期に誕生した子供が受験年齢に到達したということである。この点についても、ちょうど現在、そしてこれからのベトナムと重ね合わせることができる。
さて、このような社会背景の中での「学歴社会」を考えていくと、経済成長が停まり長期にわたる不況のどん底にいる現在の日本で「学歴社会」、「大学そのもの」が変質していくことはやむを得ないと私は考える。つまり、誰もが目的意識をもって、必死になって勉強する時代は終わってしまったと言える。
日本の大学が、18歳人口の減少にもかかわらず入学定員を減らさない理由は、前述した通りである。経営の悪化という問題にも直面している中で、大学側は「カリキュラムの多様化による魅力ある教育の提供」「入学試験の多様化」を二本の柱として「学生の確保」=「経営の安定」を図っている。経営の安定についてはここで論じても仕方がないのでこれ以上の言及は避けるが、「学生の確保」には重要な問題点が隠れている。
大学の入学試験というと学力=知的能力をペーパーテストで測定し、成績上位者から入学定員に達するまで入学を認めるということが、日本の大学では行われてきた。しかし、大学の数も少なく、18歳人口の30%台と言う、18歳の時点で既に「エリート」である者の中から更に「エリート」を選んでいた時期はともかく、定員が増えているのに受験生が減っている現在では、学力による選抜試験だけでは定員を確保することができない。そこで、高校在籍時の成績や、クラブ活動などの学校生活全般を総合的に評価する「推薦入試」の合格者数を増やしたり、受験生の大学・学部への適性や特技、資格、学習意欲などを総合的に評価し、原則的に学科試験は課されず、書類審査や面接に時間をかけて審査・選考される「AO入試(An
admission fee office entrance examination)」を導入したりするなど、入試はどんどん多様化している。特にAO入試は、受験生の自主性、やる気が評価のポイントになり、「自分はこの分野の能力が優れている」「こういう動機があるから、この大学で学びたい」など受験生が自らを売り込む姿勢が必要となる入試である。これは従来アメリカの大学で行われている入学試験の方法を利用したものである。学力だけでなく、意欲や適性が重視されるのであるから、ある意味で理想的な入学試験の方法であるとも言える。
このように、現在の日本の大学入試は多様化しており、従来は大学進学を考えなかった生徒も、自己の進路を真剣に考え、自分の実状にあった選択をすれば、高い確率で高等教育を受けることができるようになったのである。この変化は評価に値すると私は考える。その一方で、入試の段階で、高校までに養われるはずの基本的な学習能力が重視されないため、「勉強しなくても進学できる」=「ならば、勉強したくない」と考える生徒が増えていることも事実である。「学力低下」の根本原因は、現在日本で盛んに論議されているカリキュラム上の問題ではなく、実は目的意識、学習の指針となる目標の欠如にあるのだと私は考える。そして、その事実に気づいている現場の教師が、あまりにも少ないことは、残念ながら事実である。
4. 高校生の意識と学歴社会
では、日本の高校生たちはどのように考えているのであろうか。今回、私が勤務している高校の生徒に対して、学歴社会についてどのように考えているか調査を試みた。この学校は、普通科と商業科の二つの学科を併設している。国公立大学や私立の有名校を目指すコースや、英語教育を重視したコース、情報処理系の専門教育を重視したコースと多彩な学科構成となっている。学力的には上位の生徒も少なくないが、平均的な生徒が大半である。また商業科を中心に平均的な高校生の学力と比較すると下位に位置する生徒もいる。従って、日本の高校生の平均的な集団と言える。調査対象は、普通科、商業科それぞれ4クラス、合計248名(男女比はほぼ同率)の高校3年生である。
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今の日本社会について次の二つの考え方があります。 問@ あなたは、この二つの考え方のうち、どちらが正しいと思いますか。 問A この二つの考え方のうち、世間一般の人々はどう考えていると思いますか。 |
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問B 「よい就職をするには高い学歴が必要だ」といわれることがあります。この考え方について、あなたの意見は次のうちどれに最も近いですか。 |
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問C 「出世のためには高い学歴が必要だ」といわれることがあります。この考え方について、あなたの意見は次のうちどれに最も近いですか。 |
この4点の結果は興味深い。これらの質問は、言い換えれば「今の日本の社会は学歴社会だと思うか」である。つまり、「自分では学歴社会ではないと考えるが、一般論としては学歴社会である」と言う意識を彼らは持っている。言い換えれば、高校生たちは「世間では学歴が大切だと言われるが、自分はそうは思わない」と考えているわけである。さらに、
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問D 高校の勉強や、受験勉強で得られる知識は仕事の役に立つと思いますか。 |
残念ながら、高校での勉強は社会に出てから役に立たないと考えているようである。調査対象の半数の生徒は商業科の生徒である。会計学や簿記、パソコン実技等の実学的な教科も多く、社会的に通用する、つまり就職に有利であると思われる資格試験対策もカリキュラムに含まれているのに、この結果である。
この傾向は、高校生たちの進路希望調査をしてみるとよくわかる。現在の大学受験生の志望大学の選択理由は、第一に就職に有利な学部学科を選択している。
○ 文系 社会福祉系・心理学系・家政系(特に管理栄養士)
○ 理系 医療・看護系・薬学系・畜産系・情報通信・制御機械・電子工学・生物科学系など
これらの分野に共通しているのは、急速に進展している少子高齢化に伴う医療や福祉の分野など、今後の日本の社会に必要とされる分野が多い。これは「社会の要求に合った人材の養成・進路選択」と言う点で考えれば前向きにとらえることができるが、それ以上に「資格取得」=「就職直結」の分野であるということに注目したい。
実は、ここに学歴社会の新しい特徴を見ることができる。前述のように誰もが大学進学を考えることができるようになったことは有意義なことである。ところが、進路選択の幅が拡がったことが、かえって自己の将来を真剣に考え、進路を選択していくと言う本来中等教育の帰結点であるべき点を、大学という高等教育の卒業時に先送りしてしまっているのである。
不況が長引く中で、将来の生活、就職に不安を抱くことは当然である。できるだけ就職に有利な資格を取得できる方法を考えることは大切ではある。その意味では、広く深く学ぶことができる大学の教育を誰もが享受できるようになったことは喜ばしい。しかし、この「大学全入時代」であるがために、実際に大学に入学している学生の知的レベルは低下している。(『分数ができない大学生』『小数ができない大学生』西村和雄他編著 東洋経済新報社 1999年6月 他、多くの指摘がある。)この点は、日本の大学の教員の方は恐らく実感されていることと思う。実際、高校や予備校の現場で教えてみると、小・中学校で習得しているべき基本的な知識を持ち合わせていない生徒が多い。特に、ベトナムのみなさんにはお恥ずかしい話をしなければならないのであるが、日本語の語彙力が圧倒的に不足している。
もちろん、周囲も自分も「頑張る」環境にいる生徒も決して少なくはない。彼らは大学進学なり、将来の目標に向かって地道に努力を続けている。しかし、必死になって勉学に集中する必然性に乏しいため、当然勉強に対する意欲は下がってしまっている。特に、高校進学の段階で、知的能力で輪切りに段階分けがなされ、下位に位置してしまった生徒は、自分の意志で真剣に勉学に取り組み、進路を選択し、志望を実現していこうという意識が極めて薄い。この結果、現在の高校教育では「一部の知的エリートと、大半の知的脱落者を生んでいる」と言っても、決して言いすぎではないのである。つまり「高学歴=大学進学」を求める学歴社会は崩壊し、「誰でも大学へ行くことができる」と言う学歴社会に移行し、更に「高学歴者の二極化」が進んでいるということが言えるのである。
5. 今こそ大切な進路指導
既に述べた通り、日本の社会の経済成長と日本人の頑張ろうとする意欲が比例関係にあることは明確である。特に1975年頃までの高度経済成長の活力は、貪欲な「学びたい」「(言葉は悪いが)儲けたい」「豊かに生活したい」と言う日本人一人ひとりの意志であった。そして、その一つの方向として「高学歴志向」が存在した。誰もが頑張ろうとしている中で、「もっと学びたい」と考える者、また学ぶことができる環境にある者が大学に進学したのである。従って、中等教育の中でそれほど明確な進路指導が行われなくとも、個々人が自己の進路を真剣に考え、家庭の状況などを勘案して進路を決めていくことができたのである。逆に、真剣に考え、準備をしなければ進学することは非常に困難なことだったのである。この点は、現在のベトナム社会が置かれている状況と似ている。ところが高度経済成長期が終わり、特に近年、ほぼ100%に近い者が高校に進学し、半数が大学に進学できる状況になってくると、将来の進路を決めるタイミングがどんどん遅くなってしまった。言うまでもなく、日本では中学卒業以後の教育は義務ではない。行く必要がなければ、行かなくても良いはずである。しかし、ほぼ全員が高校に進学する状況の中で、「私は進学せずに就職する」と、自分の意志で選択する者はほぼ皆無である。言い方を変えると、「高校ぐらいは進学しなさい(させたい)」と言う保護者の意志が強いことと、経済的にそれが可能になったからである。そして今、「高校ぐらい…」が「大学ぐらい…」になりつつある。目的意識を強く持たなくとも、大して受験準備をしなくとも大学入試に合格できてしまうからである。また、高校卒業者の就職率が、どんどん下がってきていることもその原因のひとつである。「大学ぐらい出ていないと、良い就職ができない。」ではなく、「就職そのものがない。」のである。
ここで重要になるのが、進路指導である。現在の日本の教育現場、特に中等教育の場において進路指導は実は重要視されていない。勿論、学校によって、あるいは個々の教員の努力で様々な取り組みがなされてはいるが、結局のところ「本人の問題」になってしまっている。繰り返しになるが、過去に中学卒業の段階で家庭の事情(多くの場合、経済的な事情)で働こうとする者が多かった時代は確かに存在した。そして、その選択を自分の意志で決めていくことができた。また、教育の中で適切なアドバイスが求められ、教員もそれに応えていたことも事実である。つまり、中学卒業の段階での「進路指導」と「進路選び」が確実に存在した。優秀な人材が、職業系高校(商業系、工業系、農業系など)に自分の意志で進学していた。あくまでも自分の意志が尊重されていたのである。このことは、現在のベトナムの中等教育における進路指導と似ていると思われる。私の教え子のベトナム人留学生に聞いてみると、「学校の先生は相談にはのってくれるけれど、最後は自分の意志で決めなさいと言われます。」と誰もが言っている。日本でも私が中学を卒業する頃(1982年ごろ)までは、まだ日本でも同様であった。ところが、誰もが当然のように高校に進学するようになるにつれて、「進路選び」を高校卒業時まで先送りするようになってしまった。これはむしろ望ましいことであるとは思う。少しでも幅広い知識を得た上で進路選択をすることが可能になるからである。しかし、以前は優秀な人材の宝庫であった職業系高校が、学力成績的に普通科に進学できない者の受け皿になってしまい、例えば「商業の知識を学んで社会に出たい」と考えて進学するのではなく、「普通科に行けなかったから商業科を選んだ」と言う生徒が非常に多くなっている。私が勤めている高校の商業科の3年生のあるクラスで「この学校が第一志望で、ぜひ商業科で学びたいと考えて入学した生徒」を確認したところ、約30人のクラスで3人だけであった。これでは、「学ぼう」とする意欲が下がってしまうのは当然であり、「学びたい」と自ら進んで学校を選んだ者までも意欲が低下してしまうことは明確である。
誰もが高校に進学し、誰もが大学進学を考えることができるようになったことは、もちろん、喜ばしいことである。しかし、だからこそ「進路指導」に真剣に取り組むべきである。私が勤める高校でも、高校に入ってから商業系の教科を受講し、資格を取得していく中で学習意欲が芽生え、職業意識を強く持つようになった生徒も存在する。しかし、残念ながら「こんなことをやりたくて高校に入った訳ではない。」と主張する生徒の方が、遙かに多いのである。そして、今、高校は勿論のこと、大学までもが「誰でも入れる」時代が来ようとしている。戦後、そして高度経済成長期に中学卒業段階で誰でも考えていた「進路選択」が、高校卒業段階に先送りされ、今、大学卒業時にまで先送りされようとしているのである。社会の要求や自己の資質を考えて進路選択をしようとする生徒は、残念ながら少ない。具体的にどのように考えたらよいのか、どのように取り組めばよいのか、意欲が湧いてこないからである。このことが実は学力低下を招いていることに、我々は気づかなくてはならない。
6. 何をどう指導するべきか。―― ベトナム留学生から学ぶこと ――
私は、高校や予備校で、進学・就職試験で科される小論文試験の準備を前提とした添削指導を担当しているが、現在の高校生は就職や進学のために必要な、自分の「志望理由書」が書けない。
○ なぜ、その仕事に就きたいのか。(なぜ、大学でその専攻を学びたいのか)
→ 自分が「なりたい」と言う意欲と、「その仕事に向いている」と言う客観的な事実
○ なぜ、その会社で働きたいのか。(なぜ、その大学を選んだのか)
→ その企業(学校)でなければならない理由
○ 将来のビジョンは何か。
→ 具体的な職場や資格取得などの具体的な目標と、意欲などの抽象的な目標
この3点は、私が志望理由書の添削をする時の骨子である。永年の経験から、合格する受験生の書く志望理由書は、この3点が必ず盛り込まれている。つまり、企業や大学側が求めている人材は、この3点を真剣に考えている生徒と言うことになる。しかし、残念なことにこの条件を満たすものを最初から書くことができる生徒は皆無と言ってもよい。このことは、学力(教科の成績)に関係なく共通して、書くことができない。国立の有名大学を目指す成績優秀な生徒でも、実は同じケースが少なくない。
では、我々は何を指導するべきなのか。実は、前述の調査の結果に、重要なヒントを見ることができる。
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問E 学校の勉強や、受験勉強で努力することは、どんな仕事をする上でも貴重な経験になると思いますか。 |
高校生たちは、中等教育までに学ぶ「勉強」や「学ぶこと、努力することの習慣」が、近い将来社会で生活し活躍していく上で大切であり、役に立つのだと言うことに、ちゃんと気づいているのである。ただ、就職なり進学なりといった当面の目標と、現実に学校で受けている教育とが結びついていないから、何をどう学んで良いのかわからないでいるのだ。更に、どうして良いか分からないままでも、大学に進学できてしまう状況があるために、真剣に考えてみることを先送りしてしまっているのである。現に、我々教壇に立つ者の口癖として、進路選択に関して「自分の人生なのだから真剣に考えなさい。」とは指導するが、何をどのように考えろと示すことは、まずない。根本の問題は、ここにあるのだと私は考える。ベトナムのみなさんは、この点について「それは本人が考えることだ。」と仰ることであろう。現に私の周りにいるベトナムの留学生たちも「自分のことは自分で考えるべきで、先生に指示されることではありません。」と言ってくる学生が多い。しかし、それは前述のように、ベトナムの社会が成長期にあるから、社会の流れの中で自分の方向性を求め、取捨選択していくことが可能であるから言えるのであって、やがて経済成長をはじめとした社会成長が一つの到達点に達したとき、現在の日本のような閉塞状態に陥る可能性がないわけではないと思う。日本はその点に気づくのが遅れたから、現在のような混迷の時期を迎えてしまったのである。
今我々が真剣に取り組むべき進路指導は、前述の3点をしっかり考えさせることである。そのためには、教科の指導の中で、ただ法則や公式を覚えさせるのではなく、具体的に社会の現実と重ね合わせて語ることが大切である。私の担当科目である国語など、その最たる物である。評論文であれ、小説であれ、詩であれ、古典であれ、現実に社会の中で起こっている出来事と照らし合わせ、具体的に語らなければならない。実は、今年の4月からの3ヶ月間担当した高校3年生の現代文の授業の中で扱った3つの教材のテーマは、全て「自己認識と将来設計」であった。評論文の筆者の主張や小説文の登場人物の言動から、「では、あなたはどう考えるか。」を想起させることに終始した。この結果、小論文の最初の指導で自分の進路希望に合わせて「志望理由書」を書かせたとき、「国語の時間に先生が言っていたことを自分でまとめれば良いのですね。」と言う反応が返ってきた。手前味噌ではあるが、このような教科指導の中でも、進路指導は可能なのであり、生徒も求めているのだと私は考え、実践している。
実はここ数年、高校や予備校の生徒たちにこのような進路指導をする時に、ベトナムの留学生が書いた志望理由書を最初に読ませている。なぜならば、ベトナムの社会の状況と自分の置かれている立場、そして自分の資質と興味、将来の夢をきちんと考察し、まとめることができているからである。もちろん、日本語で書かれたものである。日本人が書いたものを読ませるよりも、よほど参考になり、生徒たちの刺激にもなる。このベトナム人留学生たちは、ベトナム医療省・教育訓練省に推薦された学生を、日本の民間団体であるJFBネットワーク協同組合が日本の厚生労働省の認可のもとに受け入れ、日本の大学、看護学校に留学させると言う「ベトナム人看護婦養成支援事業」の留学生たちである。既に日本に50名以上の学生が留学し、既に看護師国家試験に合格し勤務している者もいる。来年1月にも約10名の学生が日本の受験に挑む予定である。また、来年3月には第1期生4名が、7年間の日本での留学、病院研修を終え帰国し、医療省の指揮下のもとベトナムの医療の現場で活躍する予定である。彼女たちの勤勉さ、国を思う心、真剣に生きようとする態度には私自身強い感動を覚えている。
しかし、正直に申し上げると、ここ数年、「国に貢献したい」と言う意識が薄れ、「まず自分の希望を通す」と言う気持ちが強くなってきているように感じている。これは、ベトナムの社会が急速な経済発展を進めており、国民の生活が豊かになってきていることと密接に関係していると考えるが、日本人の学生と同じ視点で彼女らを見ていると、こと中等教育卒業後の進路選びに関しては日本の学生気質に非常に似てきている。
ベトナムの大学進学率も7%を超えたと聞いている。今後、社会の発展とともに、更に優秀な人材養成の機運が高まり、進学率も上昇すると思う。と考えたとき、そろそろ「自分のことなのだから自分で考えなさい」と言う進路指導は、ベトナムの中等教育においても分岐点に差し掛かっているのではないだろうか。ぜひ、ベトナムの教育の現場で実際に指導されている先生方から、ベトナムの教育現場での進路指導の内容、また指導の方法などをご教授頂ければと思う。そして、今一度、前向きな姿勢で社会の成長に努力しているベトナム社会の方向性を学び、参考にさせて頂きたいと考えている。
追記:ベトナムの進路指導に関する私個人の認識は、に『「受験」指導の中で垣間見た、日本とベトナムの進路指導』(「第1回ベトナム・日本教育セミナー論文集」2002.5)の中で詳しく述べたので、今回は割愛させて頂いた。併せてご覧頂ければ幸いである。