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厚生労働省が認可した唯一の看護学校留学プログラム |
プログラムの沿革 プログラムの流れ 運営上の役割分担 教科指導スタッフ 支援事業の目的
組合名称変更のお知らせ
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日本側の受け入れ団体である『関東JFBネットワーク協同組合(当時)』によってこのプログラムの策定が始まったのは1991年のこと。厚生省や日本看護協会との協議を重ね、93年11月に当時の厚生省から事業許可を受けました。
その後、ベトナムの医療省・労働省・文部省と協定書を取り交わし、ハノイにある文部省幹部養成校内に日本語教室を設置、94年9月から留学候補生の指導が始まりました。そして95年1月に31名が来日、看護学校受験に挑みましたが、その最中に留学する上での最低条件である「日本語能力検定2級」に全員不合格との連絡が届き急遽帰国。改めて日本語教育の抜本的見直しをはかり、翌年、日本語能力検定合格率88%という実績を残しました。そして、17名が来日し看護学校入試に再挑戦、4名の正規合格者が生まれました。この4名が「第1期生」として、現在(2003年)就労研修生としての最終年度である4年目のナースとして、それぞれの支援病院にお世話になっています。
不合格となった13名(内3名は一次試験合格ながら、二次試験で不合格)は泣く泣く帰国。医科大学受験を目指して再出発したり、地元の看護学校に進学したりしました。ハノイ外国語大学日本語科に進学した生徒も、日本の企業に「通訳」として採用された生徒もいるようです。そんな13名の内、ベトナム医療省の追跡調査で再挑戦を希望した3名が97年7月に来日、日本語能力検定1級の合格を目指す傍ら、「予備校」で受験勉強に励み、見事「2期生」として全員が合格。内1名は千葉県立衛生短期大学第一看護科に合格、医療系では日本初の「外国人短大生」になりました。
3期生21名の日本語指導は97年9月から始まりました。そして、英語・数学・化学については例年より早く98年4月スタート。もともと医科大学などを目指していた生徒ですから理数系科目はお手の物。日本の受験出題パターンと「日本語の設問理解」を中心に横浜国立大学教育学部新卒の若い講師3名が渡越しました。結果、10名が99年1月に来日。予備校で受験直前期の一般受験生に混じって授業を受けたり、代々木オリンピック記念青少年センターでの受験指導の結果、10人全員が進学しました。
4期生は当初22名が参加し、18名が来日しました。内1名は、「私費外国人留学生統一試験」を受験し、群馬大学医学部保健学科看護学専攻に合格し、本プログラム初の国立四年制大学に進学しました。他、合計12名が看護学校に入学を果たしました。続いて5期生も4名の国立大学生(大阪大、名古屋大、長崎大医療技術短大、徳島大医療技術短大)が誕生、合計14名が来日し、初めての助産師も誕生しました。日本の経済状況の悪化、医療関係機関を巡る状況の変化に伴い、6期、7期、8期と少人数の来日が続きましたが、着実に学校、医療機関に認知されて参りました。
しかし、諸般の事情により、現在新規の募集を停止し、新たな事業の展開を模索しています。
| 指導内容 | 備考 | |
| STEP1 | ベトナム教育訓練省幹部養成学校内 JFB日本語教育センター 『看護候補生事前教育』(1年5か月) |
日本語能力検定試験2級(国際交流基金)合格が留学の最低条件 《毎年12月に実施》不合格の場合は「再挑戦」か「断念(進路変更)」 |
| STEP2 | 日本の看護養成学校 (3年以上の大学・短大・看護学校)へ留学 『看護婦(士)留学生』(3年もしくは4年間在留) |
1月下旬から始まる看護系大学・短大・看護学校を受験 合格すると就学ビザへの書き換えをおこない、留学決定 不合格の場合は帰国し、「再挑戦」か「進路変更」 |
| STEP3 | 看護婦(士)国家試験合格 『正看護婦(士)医療研修』(4年間在留) |
国家試験に合格後、JFBネットワーク組合員の病院で研修 |
| STEP4 | 研修終了、ベトナムに帰国 『看護医療業務』に従事・『看護教員』として従事 |
| 機関 | 団体名 | 分担 | 備考 |
| ベトナム側派遣機関 | ベトナム労働・傷兵・社会省 (実務担当:ベトナム医療省) |
●留学候補生選抜試験実施 ●候補生の身元保証・管理 ●日本語教育の管理責任 ●日本語能力試験受験申請 ●出国手続きと送り出し ●日本との国際業務全般 ●候補生からの誓約書 ●日本からの助成金管理 |
JFBとの協定書締結 |
| 日本側受入機関 | JFBネットワーク協同組合 | ●選抜から入国までの連絡・調整 ●入国・留学期間中の身元保証 ●入国手続き業務全般 ●生活全般の管理・指導・相談 ●社会研修実施 ●在留期間更新・資格変更手続き ●看護・医療分野の日越国際交流 ●看護医療用語のベトナム語化 ●日本在留期間中の管理責任と監査 ●在留期間終了後の帰国手続き |
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| 研修・受入受託機関 | JFB組合員医療機関 | ●本事業推進負担金の提供 ●留学生の生活環境整備と指導 ●留学期間中の院内研修責任 ●研修カリキュラムの策定 ●看護医療研修中の身元保証 ●医療分野の日越国際交流 ●在留期間中の状況報告 |
JFBとの研修委託契約 |
| 本事業支援団体 | 組合員企業・一般企業団体 | ●医療情報の交換 ●医療機器の援助 ●医薬品の援助 ●人的・経済的援助 |
| 指導内容 | 機関 | 担当者 | 教科 | 備考 |
| 日本語教育 | JFBネットワーク協同組合 | 派遣講師 | 日本語 | ハノイ日本語教育センター |
| 受験教科教育 | JFBネットワーク協同組合 | 派遣講師 | 英語・化学・数学 | ハノイ日本語教育センター |
| 受験教科教育 | 予備校講師 | 国語・英語・数学・化学 | ||
| 受験教科教育 | ボランティア講師 | 国語・英語・数学・化学 | 国立代々木オリンピック青少年センター・他 |
代々木オリンピックセンターから
表敬訪問ためベトナム大使館へ
向かうボランティア講師たち代々木オリンピックセンターでの授業終了後のスナップ
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○日本・ベトナム間の医療分野における
●ベトナム人看護師の養成事業による技術・知識の移転 |
謹啓 皆様方におかれましては、時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。 日ごろより当組合の活動にご協力とご鞭撻をいただきまして、誠にありがとうございます。お陰様で組合 事業も多角化してまいりました。それに伴い9月1日をもって名称を「AHPネットワ一ク協同組合」に変更 いたしますのでお知らせ申し上げます。「AHP」とは「アジアン・ヒューマンパワー」の略称です。 ご承知の通り、当組合は平成2年(1990年)9月に関東通商産業局の認可により設立、当初は「関東JFB ネットワーク協同組合」の名称で事業を開始しました。その後、組合員の増加に伴って組合員の所在地も全 国に広がり1999年8月に「JFBネットワーク協同組合」と名称を変更いたしました。 さらにここ数年は東南アジア各地にフィールドが移り、「外国人人材育成と組合員企業活動の活性化」を メインテーマとして組合事業に力を注いでまいりました。東南アジア諸国からの技能研修生受入れと外国 人看護師を養成支援して当組合に加盟する医療機関で就労研修する事業。またフィリピンとの協力関係を 強化して組合員の活動に寄与する事業などです。 この様な活動背景により、現在使用している組合名称の意味合いが実態と符合しにくい事から第14回 組合総会で名称変更の承認を受け変更手続きを致しました。 今後も組合活動がアジア諸国の更なる発展に少しでも助力できればと願いつつ、事業展開を進めてい く所存です。 なにとぞ従来にも増してのご協力とご指導をお願い申し上げます。 謹白 2003年8月吉日 経済産業省関東経済産業局 国土交通省関東地方整備局 厚生労働省関東信越厚生局認可 エイ・エイチ・ピーネットワーク協同組合 (旧ジェー・エフ・ビイネットワ一ク協同組合) 理事長 黒田孝之 記 新名称:エイ・エイチ・ビーネットワーク協同組合 略称:AHBネットワーク(協) |
初秋の候、皆様にいかれましては益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。 当組合も多くの方々のお力添えにより創立9年を迎え 、活動範囲が1都10県から1都1府15県へと全国に広がりをみせてまいりました。 そこで事業地域拡大を機に8月23日付けにて所轄官庁の定款変更許可をうけて組合名称を改めました。 私どもは、組合活動を通して日本経済が格段の国際化へ進んでおりますことを日に日に強く感じ JFBの役割にも重要さを増していると認識しております また相互扶助のあり方にも新たな視点が求められている現在 さらに心引き締めて組合活動に取り組んで参る所存です。 皆様方のより一層のご支援ご鞭撻を宜しくお願い申し上げます。 平成11年9月吉日 理事長 別府 隆 記 新名称:ジェー・エフ・ビイネットワーク協同組合 略称:JFBネットワーク(協) |
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